めずらしくモデルがいる絵。たぶんお気に入りになる絵だと思う。

駅は、特異な場所だと思う。

週に5日通う会社よりも、恋人の家よりも、なくてはならないコンビニよりも、味はなんてことないけれど何しろ安いから通ってしまう立ち呑み屋よりも、そこに存在する回数はきっと多いだろう定期に印字された、駅。
ペットボトル入れたバッグを持って地元を離れたあの日に、何がしかの感情を残した駅。年に何回か、もしくは何年に1回か帰るときに、いちばんはじめに気温やにおいや空気に含まれる成分のちがいや、残してた何がしかの感情を肌で感じさせる駅。
いちばん最近だけれどでももう更新されない、記憶になってしまった好きだったひとの顔を見送った駅。
遠くのマチですごした非日常の何日かで上がっていた昂揚をぶつんと切って、日常とを受身で考えれば強制的に物理的に繋いでくれてしまう、駅。

まあ、かっこつけたがってるようなことを書いてはみたけれど、駅をふだん使わない(ひじょうにうらやましい)人たちもたくさんいるし、毎日2回使っているけれど、ふだん「よし、がまんするのはよくないからこれからトイレにいくぞ」なんて思わずに無感情にトイレに行くのと同じくらいの感覚でしか駅を捉えていない。たとえがちょっとちがうな。
いや、でもやっぱり駅は特別な場所だとは思う。オバケとかそういんじゃないけれど、何かが溜まっている場所だと思う。ワタシは飛行機に乗れないからわからないけれど、空港はもっとそうなのかな。村上龍の「空港にて」という文庫本がある。何年か前、出張の帰りの新幹線の中で一度読んだだけで引越の時に正に二束三文でブックオフに投売りしてしまったからよく覚えていないけれど、とてもいい短編集だ。駅や空港は、他のどの場所よりも、目的も嗜好も性別世代も、その状況もまったく違う人たちが物理的に交錯している場所じゃないかと思う。ものすごく、興味深い。
土曜の午後に行った目的地よりも、その帰りに、行きに振り返っては見なかったその駅の改札口のほうが、あー絵にかきたいなと思うこともけっこうある。おもしろい。なんでだろう。だからたぶん、これからも駅の絵はたくさん書くかと思う。たぶん、さっそく書くと思う。

そして、本題に入る前の文章がやっぱりこんなに長くなってしまった。
高円寺駅。
今年の春先に新しくなった高円寺駅。ワタシはそのころまだ雪のふぶくマチにいたからわからないのだけど、雨が降ると改札前は大きな水溜りがすぐできてしまうような駅だったようだ。なるほど。
なぜ北口なのか、ものすごく大きな原動力があるんだけれど、それはこんど違う絵をかくときに全力でかこうと思う。
2006年、8時すぎの改札をくぐるのは、たぶん明日が最後。おやすみなさい。
Secret

TrackBackURL
→http://konkokonko.blog69.fc2.com/tb.php/50-b7008b6c